出産の日。
手術の怖さと、娘への祈りが入り混じった時間でした。
この記事では、帝王切開で娘を出産し、NICUに入院した最初の一週間の記録を綴ります。
18トリソミーの診断を受けた娘との出会い、母としての葛藤と愛情を、ありのままに書きました。
帝王切開を選んだ理由。迷いがなくなった日

私はもともと経膣分娩を希望していました。
自分が一人っ子だったこともあり、子どもは二人以上ほしいという思いがあったからです。
帝王切開は3回までと言われていて、将来の選択肢が減ることが嫌だったのです。
でも、先生に「娘を安全に出産するには帝王切開が一番」と言われた瞬間、迷いは消えました。
ただでさえ生まれる可能性が低い命。
どうか安全に、確実に守ってあげたい——そう強く思いました。
初めての手術、涙と祈りの中で
手術というものが初めてで、正直怖かったです。
背中から麻酔を入れるとき、看護師さんの手を握らせてもらいました。
処置の間も、「どうか無事でありますように」と祈りながら涙が止まりませんでした。
小さな泣き声が聞こえた瞬間、涙は安堵の涙に変わりました。
すぐにNICUで管理されると分かっていたので、不安よりも「守られている」という気持ちの方が強かったです。
面会で知った「母になる」という実感

出産から一週間、限られた面会時間の中で、できるだけ娘に会いに行きました。
おっぱいが張って熱くなり、マッサージは痛いし、後陣痛も傷口も痛い。
それでも「母乳を届けたい」という思いが支えでした。
初めてNICUで娘を見たとき、小さくて呼吸器をつけた姿に驚きました。
でも不思議と涙は出ず、「この子を私が産んだ」という実感がまだなかったのかもしれません。
初めてしてあげたことは、背中に保湿クリームを塗ること。
その姿が小さくて、かわいくてたまらなかった。
初めて抱っこしたときは、壊れてしまいそうなくらい小さな体で、それでも確かに生きていました。
NICUで見た娘の姿。少しずつ現実を受け入れていく
呼吸器やたくさんの管がつながれた娘の姿を見て、
「ああ、本当に18トリソミーの子なんだ」と少しずつ受け入れていきました。
それでも、どんな姿であっても娘はかわいくて仕方なかった。
小さなオムツを見て「こんなサイズがあるんだ」と驚き、
泣き声を聞いて「生きてる」と嬉しくて涙が出ました。
搾乳して届けることが、私の一番の使命のように感じていました。
夫も仕事の合間に、娘に会いに来てくれました。
娘を見つめるその姿に、私は救われていました。
母子同室ができないつらさ。4人部屋で感じた孤独

出産後は母子同室ができないことはわかっていたけれど、
やっぱり一緒にいられないのはつらかったです。
4人部屋を選んでいたので、ほかのママたちの声が聞こえてきました。
中には「妊娠中は何も異常がなかったのに、産まれてからわかった」という人もいて、
夜な夜な泣く声も聞こえてきました。
私もメンタルが崩れそうでした。
でも、「娘は生まれてきてくれた」「明日も会いに行ける」と自分に言い聞かせていました。
次に出産するなら、少しお金がかかっても個室にすると思います。
母としてのはじまり
この一週間で、私は確かに「母」になったのだと思います。
痛みも涙も、すべてが娘と私をつなぐ経験でした。
生まれてきてくれたこと、それだけで十分。
まとめ

帝王切開やNICUでの経験は、どれも簡単ではありません。
でも、あの日、娘を守るために選んだ決断を、今でも誇りに思います。
どんな形であれ「生まれてくる命」には、ちゃんと意味がある。
この記録が、同じような思いをしている誰かの支えになりますように。
