娘がPICUに入院した1月14日、帰りの車の中で胸が張り裂けそうだった。
帰宅してからの記憶はほとんどない。晩御飯の味もしなかった。
お風呂に入り、歯を磨いて、淡々とやるべきことをして――ただ無事を祈るしかなかった。
いつもの場所に娘がいない。お布団とお気に入りのタオルだけがそこにあって、心の持ちようがわからなかった。
眠りたいのに、眠れない。先生に「いつでも電話に出られるようにしておいてください」と言われていたから、何が起こるかわからない不安がずっと消えなかった。

📞 翌朝の電話

あまり眠れずに迎えた1月15日の朝。午後の面会時間に行く予定だったが、医療センターからの電話が鳴った。
「今から来ていただいて大丈夫です。気をつけてお越しください。」
その一言でいっきに冷や汗をかいた。動悸が止まらない。
夫と急いで病院へ向かい、娘の姿を見て安心したのも束の間――数値は安定せず、医師から「いつ何があってもおかしくない」と伝えられた。
娘を失うことが怖くて、悲しくて、手が震え、泣き崩れた。
NICU時代の担当の看護師さんが駆けつけてくれて、背中をさすってくれたのを覚えている。
「PICUは今、娘さんにとっていちばん安全な場所ですよ。」
そう言ってもらえたことで、少しだけ気持ちを落ち着けることができた。


🩺 延命の選択

面会後、先生から別室で説明を受けた。
「急変の可能性が高いです。もし心臓が止まりそうになったとき、どうされますか?」
心臓マッサージをするのか、延命治療を行うのか――突然すぎる質問に、現実感がなかった。
まだ1日しか経っていないのに、そんな話をするなんて。
病名は「細菌性肺炎」と「心不全」。症状は酸素化低下。
でも私は信じていた。
「娘はまだ頑張れる。大丈夫。」
だから、できる限りの治療をお願いした。


🌤️ 一度は抜管、しかし再び

1月16日、娘は抜管することができた。
「やっぱり大丈夫だった。良かった。」そう思った。
けれど、翌17日の朝、再び医療センターから電話。
「今から来てください。」
娘は再び挿管されていた。
病状は安定せず、厳しい状況であることを改めて痛感した。


💔 1月20日――人生で最も辛い日

「娘さんの命は1週間、もって1ヶ月です。」
医師の言葉に現実が止まった。
ほんの少し前まで元気だったのに。
夫が涙を流す姿を初めて見た。
この日を、私は一生忘れない。
それでも、できる限り面会し、少しでも娘に会える時間を大切に過ごした。


📄 1月22日 病状説明書

その日の面会後に渡された病状説明書には、こう書かれていた。

1月21日の夜中に一時的に心肺停止状態になり、2分間の心肺蘇生を行いました。
また、一時的に酸素の値が低下したり、心拍数が下がることが散見されるようになってきています。
…(中略)…
今後、(娘の名前)ちゃんとどのように過ごすのかを考えなければいけない時期にきていると思います。
お父さん・お母さんと(娘の名前)ちゃんの気持ちを大切にしながら、(娘の名前)ちゃんが辛くないことを目標に治療を継続し、最後まで診てあげることはその一つだと思っています。

その文面を読んだ瞬間、体が震えた。
もう、娘と過ごせる時間は長くないのだと突きつけられた。
涙が止まらず、呼吸も浅くなった。
この日、先生が「特別に付き添い入院していい」と言ってくださった。
私の様子を見かねての温かいはからいだったのだと思う。


🤱 抱っこの誓い

何日も抱っこができていなかった。
急いで家に戻り、付き添いの準備をして病院へ戻った。
「できる限り、この子が大好きな抱っこをしてあげよう」
――その日、私は心の中で強くそう誓った。

次の記事では、PICUでの付き添い入院から退院の日までのことを、少し振り返って書き残しています。


※本記事の内容は、娘の実際の記録をもとにしています。
医療内容や対応は個々の状態によって異なります。
似た状況の方も、必ず主治医の判断を最優先にしてください。