娘は18トリソミーをもって生まれ、在宅医療での生活を続けてきました。この記事では、1歳6ヶ月までに起こった体調の変化や、PICUに入院するまでの日々を振り返ります。日々の中で感じたことや、私が学んだことも含めて記録しておきたいと思います。
0歳3ヶ月でのコロナ感染

娘は生後わずか3ヶ月で新型コロナウイルスに感染しました。
夫は仕事柄外出が多く、休日にはサッカー観戦にも行くことがありました。感染がわかった時、夫を責める気持ちと「仕方ない」と思う気持ちの両方がありました。
私もその後感染し、娘と離れて過ごす時間は本当に辛かったです。まだ生まれて間もない、基礎疾患のある娘と離れ、もしこのまま…と考えると不安で眠れませんでした。
義父母に助けてもらいながらも、自分の高熱と精神的な不安、夫への複雑な思いが入り混じり、とても苦しい1週間でした。
幸い娘の高熱は1日で落ち着き、思ったよりも強い体だと感じました。それでもその日の脈は150を超え、解熱剤を使っても辛そうな姿に胸が痛みました。
たびたび出る熱とこもり熱

風邪なのか、こもり熱なのか分からない発熱が何度かありました。
体温は38度前後、脈拍も130〜140と上がり、まずは扇風機やアイスノンでクーリング。それでも下がらないときは先生に連絡し、往診や薬の指示をしてもらいました。
在宅生活1年までは大きな悪化もなく、比較的安定していました。
天気が悪い日や気圧が低い日は酸素の値が下がることもありましたが、基本は酸素流量ほぼ0でもSpO₂は100%近くを保っていました。
しかし、1年を過ぎた頃から徐々に酸素流量を増やすようになり、1〜1.5Lが常に必要に。
今思えば、娘の心臓の状態が少しずつ悪化していたのかもしれません。
お正月、そしてPICU入院

在宅生活1年半を迎えた頃、年末年始は義実家で過ごしました。
娘も呼吸器や酸素、モニターを携帯し、親戚みんなに抱っこしてもらいました。
「今年も元気に過ごせますように」そう願った矢先のことでした。
1月中旬、娘の呼吸の状態が明らかに悪化。沐浴や吸入の際、呼吸器マスクを外すと顔色が悪くなり、一瞬で気絶しそうになる。呼吸器をつけて酸素の流量を最大量の3Lにしても、モニターは85%ギリギリ。熱もあり、風邪だと思っていました。
先生に連絡すると「すぐに医療センターへ」と。
夫が運転し、自宅から1時間かけて医療センターへ。
道中も酸素ボンベを最大で流しましたが、SpO₂は70%台、ついには50%まで低下。必死で酸素ボンベを交換しながら病院へ向かいました。
到着後、酸素7Lでやっと85%。コロナ・インフルエンザは陰性。
娘はすぐにPICUへ運ばれました。
待合室で3時間、涙が止まらず、ただ祈るしかできませんでした。
先生の説明によると、風邪がきっかけで慢性心不全が悪化し、挿管が必要な状態とのこと。
覚悟していたはずなのに、管に繋がれた娘の姿を見ると胸が張り裂けそうでした。
「いつも家で治せていたのに、今回はどうして…」
そう思いながら、PICUでは付き添いができないため、夫と帰宅しました。
ただ、あの夜の不安と静けさは今でも忘れられません。
終わりに
在宅生活では、体調の波がありながらも笑顔で過ごせた日々がたくさんありました。
でも、病気の進行は少しずつ、静かに進んでいたのだと思います。
これまでの1年半の出来事を振り返ることで、改めて娘の強さと、支えてくれた人たちへの感謝を感じます。
