妊娠がわかって嬉しかったあの日。
でも、健診で「赤ちゃんが小さい」「染色体異常の可能性があります」と告げられました。
この記事では、妊娠初期の不安から18トリソミー確定までの私の実体験を記録しています。
同じように不安を抱える妊婦さんに、少しでも寄り添えたら嬉しいです。
妊娠がわかった日。検査薬で陽性反応

予定日に生理がこなかった日、いつもと違う体調の変化がありました。
勤務終わりに買った妊娠検査薬は陽性。信じられなくて2本試しました。
夫に伝えると「本当なら嬉しい!」と笑顔。
母子手帳を受け取った瞬間、「私も母になれるんだ」と実感が湧きました。
仕事と妊娠、理想通りの“完璧な人生”に見えた
ホテル勤務で忙しい日々の中、「もう辞めたい」と思っていた矢先の妊娠。
25歳で結婚、26歳で妊娠、27歳で出産。
当時は「完璧な人生だ」と思っていました。
両親に報告すると、父の転勤でサポートは難しくなったものの、不安はありませんでした。
つわりで休職、そして「赤ちゃんが小さい」と言われた日

つわりが重く、傷病手当金を使って休職。
ありがたい制度に助けられながらも、体は思うように動かず。
健診で「赤ちゃんが少し小さいですね」「脈絡叢嚢胞が見えます」と言われ、医療センターに紹介されました。
この日から、私の妊娠生活は大きく変わりました。
18トリソミーの可能性。泣きながら帰ったバスの中
医療センターで「18トリソミーの可能性があります」と告げられたのは妊娠23週。
週数的に、産まない選択肢はありませんでした。
帰りのバスで涙が止まらず、「どうして私が」と思いながら母に電話しました。
母も夫も「大丈夫」と言ってくれたけど、私の中では半分“覚悟”ができていた気がします。
大学病院での検査、確定診断
大学病院でさらに詳しい検査を受けました。
赤ちゃんは発育不全、心室中隔欠損、足底や手指に特徴があり、「ほぼ確実に18トリソミーです」と。
羊水検査の結果でも確定。
罪悪感と悲しみ、夫への申し訳なさで涙が止まりませんでした。
淡々と過ごした妊娠後期。準備が怖かった
妊婦健診は週1回。往復2時間の距離も、できるだけ1人で通いました。
夫に何度も悲しい思いをさせたくなかったから。
お腹は大きくならず、マタニティマークをつけることさえ心苦しかった。
娘の服やオムツ、ミルクも買えませんでした。
「使うことがないかもしれない」と思うと、怖くて買えなかった。
名前を決めるのも、怖かった。
胎動が教えてくれた「生きる力」

それでも妊娠後期、娘の胎動はとても強くなりました。
「産声を聞けるかもしれない」
そう思えるようになったのはこの頃からです。
小さな体で力強く動く娘を感じながら、
「大丈夫、安心して」と言われているようでした。
妊娠中の私へ。あなたはちゃんと母親だった
あの頃の私は、不安の中で、それでも娘を信じていました。
泣きながらも、毎回健診に通って、ちゃんと母親だったと思います。
この記録が、同じように不安を抱える誰かの心に届きますように。
まとめ

妊娠中の不安は、誰にでもあります。
でも、「知ること」「考えること」を恐れなくていい。
私は、娘を通して“命を知ることの大切さ”を教えてもらいました。
同じように迷いや不安の中にいる方に、少しでも寄り添えたら嬉しいです。
